« 2008年10月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月21日 (日)

旅立ち・・・

平成20年11月3日 午前10時42分

大好きな、と~っても大好きなばあちゃんが亡くなった。

82歳だった。

母方の祖母で、いつも自分より他人を大事にして、本当に誰からも好かれる人だった。

 

翌日の日の出・・・

   F1000004

なんだか切なくて、それでも少しずつ晴れ間も見えて、水面に映るオレンジの太陽が、ばあちゃんの温かさを思い出させてくれたようで、少し落ち着きを取り戻させてもらって、この日の出を忘れたくないと思い、写真を残した。

 

10月25日夕方・・・夕食の準備中に頭痛を訴え、薬を飲んでも効かず、おかしいと思った叔母が母に電話をし、かかりつけ医に往診してもらった。

その時点で、左半身の麻痺が出現していて救急車で脳外科へ・・・

その途中、意識もなくなり病院へ到着。

右脳出血だった。

母達も駆けつけ主治医より、手術をするかどうかの選択をせまられ、母達は回復を祈って手術をすることをお願いした。

内臓的にはまだまだ元気だったが、高齢だしかなりのリスクもあったはず。

けれど、このままにはできない、回復するかもしれない、いや回復して欲しい・・・そんな想いでの答えだった。

それにはうちも同感だ。

手術は4時間ほどで終了・・・結果は『とりあえず成功』と!

ホッとした。

しばらくは、麻酔下での人工呼吸器での管理が必要であり集中治療室へ入院した。

この間、うちは仕事中・・・準夜勤だったため、全てメールでの連絡を受けていたが、心ここにあらずといった感じだった。。

仕事を終え慌てて帰ったのが1時半、母に電話すると泣いてた。

でも、とりあえず病院に任せるしかないからと、昼頃一緒に見舞いに行くことにした。

CCUにいる祖母を見て、思わず涙が溢れた。。

よく頑張ったね。。

このまま様子みて、今後の治療を考えていくと・・・おそらく車椅子の生活になり、麻痺は残るだろうと・・・

生きててくれて良かった!

これがうちの想いだった。

それから、仕事で行けない日を除きほぼ毎日病院へ通い、祖母と心の中で会話した。

数日後、呼吸器がはずれ、気管のチューブは抜けない為、首の付け根のところから切開してチューブを入れて呼吸管理する気管切開を行い、状態が落ち着いてきたため個室へと移った。

夜遅くや、夜勤明けでのお見舞いが多かったため、祖母の手を握ったままベッド柵にもたれかかってウトウトすることもしばしば・・・

1回だけ夢を見た・・・

うちが居眠りしてると、頭をなでられる

ふと顔をあげると、祖母が起きてて『起きらんな~』って微笑む

そこで目が覚めた!

もう少し夢の続きが見たかったな~。

そしてまた数日が過ぎ、手術した場所からジワジワと出血してることがわかり、再手術はムリなので、点滴で様子をみることに・・・

全身状態は変わりなかった。

11月2日夜間に嘔吐し、11月3日午前7時半頃、急変し一時心肺停止・・・

知らせを受けていたが、深夜勤の真っ最中・・・メールも見ておらず、気がついたのは仕事が終わった9時半頃。

急いで病院に駆けつけて10時到着。

身内やらご近所さんやら、いっぱいいて、かき分けて病室に入り、祖母を見て、もうダメだ・・・って思った。。

急変後、蘇生できCTを撮ると・・・右脳の再出血、左脳3分の1の脳梗塞、そして致命的な橋出血(呼吸中枢のあるところ)。

CT見て、以前脳外科にもいたことがあるので、愕然とした。。

このまま呼吸器をつけても、植物状態・・・

自然に任せて見守ることに・・・

ばあちゃん、うちのこと待っててくれたのかな?

もう頑張らなくていいよ!

もう苦しまなくていいんだよ!

祖母の手を握り、心の中で叫び続けた・・・

10時半頃から、段々と心拍も落ちていき・・・

10時42分、永遠の眠りについた。

たくさんの人に見守られての最期だった。

一旦病室を出ると、母が『いやだ~~~~』って泣く。。

叔母がボーっとうずくまる。。

母に、これで苦しまなくてすむんだよ、じいちゃんとこに行けるんだよ、ばあちゃん頑張ってくれたじゃん、ゆっくり眠らせてあげようよ、うちがキレイにしてあげるから待ってて、と言い聞かせ落ち着かせた。

看護師さんに一緒にさせてくれるようにお願いし、身体をキレイにして、母と叔母に化粧をしてもらった。

本当に眠ってるかのような、キレイな顔だった。

そして祖母の家へと帰った。

うちは、仕事帰りだったから、帰ってシャワーを浴びて、仕事を一つ残していたため病院へ行き、仕事を片付け祖母宅へと向かった。

たくさんの弔問が来てて、狭い家はギューギュー。

祖母は手術の為、坊主だったからかわいそうだと思ったうちは、毛糸の帽子を買って帰って、祖母の頭に被せた。

祖母は明るい色が好きだったから、ピンクにした。

被せるととっても可愛くて、みんなからも『よく気がつくな~』と感心された。

だって、何十年ぶりにじいちゃんに会えるんだよ。

坊主じゃかわいそうだし、寒いよ。

仮通夜、本通夜、葬式・・・着々と進んでいくが、なかなか受け止めることができず、祖母の傍を離れることができなかった。

本通夜は、葬祭場だったが、いつも棺のそばにいた。

泣き徹した。。

ジャイアンツファンだった祖母の棺には、うちがあげたジャビットの人形とバスタオルも入れ、着物好きだったからキレイなピンクの着物がかけられた。

葬儀が終わり、自分の家に帰ると空虚感にかられ、また泣いた。。

翌日から仕事・・・そりゃ気持ちの整理できてないし、辛かった。

そして、祖母は一人暮らしだったため、仏壇を守る人がいなくて、しばらく母と義父が祖母の家に寝泊りをすることになった。

義父は、夜の仕事で家を空けるため、母は寂しいと言うから、出来る限りうちが泊まりに帰った。

うちが行けない時は、叔母二人が交代で泊まりに行った。

そんな日がしばらく続き、12月になり、うちは風邪をこじらせてしまい、喘息がまた出て行けない日が続いた。

そして今日、49日法要の納骨だった。

もうそんなに経つんだ。。

和尚さんの話を聞いたり、お墓に骨壷を入れる時は、やっぱり寂しさがこみ上げてきて、また泣いた。。

でも、これで一段落。

気持ちを切り替えて、頑張らないと!!

祖母は、いつもうちのことを気にかけてくれてた。

中学生の頃、家の事情で1年くらい一緒に住んでたこともあった。

誰よりも他人想いな祖母だった。

祖母の料理が大好きだった。

祖母のような、温かい人にならなければと思ってた。

そんな祖母に心配かけられないもんね!!

うち、頑張るから!!

ママを支えていくから!!

そう、祖母に語りかけ見送った。

もう、じいちゃんに会えたかな?

もう笑ってくれてるかな?

天国に辿りついて、祖父と楽しく語り合っていることを祈るばかりです。

ず~っと、見守ってて欲しいな♪

 

 

【お詫び】

記事として残してしまうこと、ごめんなさい。。

こんなこと、ここに残すのもどうかと思ったが、今のこの気持ち、どこかで整理しないといけないし、自分自身後悔の念にかられてる。。

だから整理する場所として使わせていただきました。

後悔先に立たず・・・

今年お正月以来一度も会いに行けなかったこと。

確かに仕事は忙しくなり、ゴタゴタしたりもしたけれど、それでも正月以来話をしてない。

そして、亡くなる前日、夜勤入りだったから会いに行かなかったこと。

行こうかとも思ったが、身体がきつくて仮眠とらないと仕事できないと思ったし、翌日行けばいいと思ったからだ・・・。

もしも前日の仕事帰りに寄ってたら、少しは状況がわかったかもしれない。

そんなことばかり考えてたら、何であの時こうしなかったのか・・・いっぱい出てくる。

だから、もうこんな想いしたくないから、大好きな人を大切にしようと思う!!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2009年1月 »